金で知恵を買う?

箴17:16「愚かな者が思慮もないのに、知恵を買おうとして、手に代金を持っている。これはいったいどうしたことか」
英語訳(NIV)を直訳すると「愚かな者が知恵を理解できないくせに、知恵を買うために金を持っているのはなぜか?」という風になります。役に立てることができれば、知恵も価値を認められ、代価を支払ったとしても損はないでしょう。知恵を生かす頭がないのに、知恵だけをあたかもお守りのように手を入れたがったとしても無駄なことです。見栄を張るために何かを身にまとっても、その人の本質を見られるならこっけいにも見えるでしょう。知恵ある者は言葉を控え、冷静に行動することができます(27)。また言葉かずが少なく、口を固く閉ざすなら悟りのある者のように見えます(28)。愚かな者が知恵を欲しがるのは、自分こそ知恵があることを吹聴したいからです。誰かに認めてもらいという動機で知恵を手に入れても、そういう発想そのものが知恵に欠けているのではないでしょうか。天から与えられた知恵を何に使うかを主は見ておられます。金を見せびらかせて、知恵を買おうとするのは簡単に世の中を渡っていけるという勘違いから来ているのです。どんなに賢く、知識があっても、ソロモンの唱える人との関係をスムーズにする箴言を理解することは難しいものです。知恵ある者には知恵ある者のような風格が伴うのだと思います。