主のはかりことだけ

箴19:21-22「人の心には多くの計画がある。しかし主のはかりごとだけが成る。人の望むものは、人の変わらぬ愛である。貧しい人は、まやかしを言う者にまさる」
人がどんなに人生計画を練ったとしても、その通りにいかない場合が多いでしょう。それでも、政治家や医者、企業家になるためには、それなりに人生の時間を目的に費やしていかなければ叶うはずもありません。しかし、聖書は主のはかりごとだけがなる、と教えています。どんなに平和を願っても、主が争いを地にもたらすなら戦争は避けられないでしょう。それは主のご計画が背後にあるからです。主のはかりごとの前では人の思いは無力です。だから、注意深く御言葉に耳を傾けるのです。主の道は人の道よりも高く、主の思いは人の思いよりも高い…と書かれている通りです(イザ55:8-9)。主の思いが人の思いと重なったとき主の御業は成ります(2歴16:9)。さらにここでは人の望むものは、人の変わらぬ愛だと書かれています。互いに思いやり、支え合う関係はすばらしいと思います。そういう意味においては「裏切り」は最も相手の心が傷つく行為です。イエス様はユダによって裏切られました。ユダはイエス様の愛を知らなかったのでしょうか?イエス様は最後の晩餐のときまで、ユダを遠ざけず、隣に座らせご自分の大切な友として扱われました。どんな人でも変わらない愛で愛せるようになるには、主の思いと自分の思いが一致する必要があるのです。