わいろを贈る

箴21:14「ひそかな贈り物は怒りをなだめ、ふところのわいろは激しい憤りをなだめる」
まるでわいろを認めるかのような言葉です。聖書には「わいろを取ってはならない。わいろは聡明な人を盲目にし、正しい人の言い分をゆがめるからである(出23:8)」とあり、明らかにわいろを禁じています。また申命記にも同じような命令が書かれています(申16:19)。しかし、よく読んでみるとわいろを取ることは禁じていても、贈ることは禁じられていません。ちょっと屁理屈な読み方かも知れませんが、ソロモンの知恵がわいろを受け取ることではないという点に注目したいと思います。金がすべての世の中ではありませんが、金が多くの問題を解決することには反論はないでしょう。過失で人が死んでしまっても、損害賠償として数億円が払われたなら、たいていの場合遺族からの申し立てはなくなってしまいます。和解金というシステムはソロモンの箴言を具現化しているような気がします。殺人などの故意の犯罪なら別ですが、過失で相手に大きな損害を与えた場合は、金額の大小が相手の憤りを静める要素になりえます。「わいろ」のヘブライ語「shachad(シャハッド)」はわいろ以外に、present すなわち贈り物の意味があります。怒りの矛先を別のものにすり替え、相手が得をしたように思わせたなら、ソロモンの知恵が働いたことになります。激しい憤りというのは、そうやって簡単に収まるような他愛もないものなのです。