糞の門も直した

ネヘ3:1「こうして、大祭司エルヤシブは、その兄弟の祭司たちと、羊の門の再建に取りかかった。彼らはそれを聖別して、とびらを取りつけた。彼らはメアのやぐらまで聖別し、ハナヌエルのやぐらにまで及んだ」
羊の門は城壁の囲いの北側にありました。次いで時計回りと逆に魚の門、エシャナの門と続き、以降、谷、糞、泉、水、馬、東 招集の順で、全部で10の門を直したことが書かれています。古い資料にはこれ以外に、エフライムの門と裁きの門があったことが残されており、もしそれらを含めるなら12の門があったことになります。西側には唯一谷の門があり、南の端には糞の門がありました。エルサレムの城壁は神殿の中を通るように建てられ、神殿の壁の北と東側はエルサレム場内に面していたため、多くの門は北と東に集中していました。それに比べ、南の糞の門はヒノムの谷のふもとと重なっており、ごみ溜めが門の外にあり、あまり印象の良くない門です。このごみ溜めは昼夜なく火が燃え続け、通称「ゲーンヒノム(ゲヒノム)」と呼ばれ、ギリシャ語のゲエンナ(ゲヘナ)の由来となった場所です。イエス様は地獄の燃える火を例えて、当時の人たちにもわかるように「ゲヘナ」という言葉を使った話をされています(マタ5:22など)。それは、死ななければ見れないものをどんなに説明しても理解できないゆえに、現存するわかりやすい例えを示したイエス様の知恵でした。