何かまさっていますか?

伝道6:8「知恵ある者は、愚かな者より何がまさっていよう。人々の前での生き方を知っている貧しい人も、何がまさっていよう」
7節では人が労苦するのは口のためだと書かれています。すなわち腹を満たすために労をして、その食欲は死ぬまで続くのです。さらに、ソロモンは知恵があっても、生き方を知っても何が他の人より優っているのだろうか…と問いかけています。富にも知恵にも満たされた男が最終的にたどり着いた結論です。ソロモンは人が神を知らずに飲んだり食べたりし、喜び楽しんでも、それはむなしいものだと悟っています。それは、人は神と共に歩むように設計され、造られたからです。神は人を肉に閉じ込め、あわれむことができるようにされました。人があわれまれるのは肉のゆえです(ロマ11:32)。それゆえにあわれみを受けられる時間は限られています。死ぬまでにソロモンのように悟りを得れば良いのですが、多くの人は快楽を求め、最後まで自分のやりたいように生きています。人は神が計画されたように生きるべきです。今でも神の手は差し延べられ、すべての人が滅びることのないように最善を尽くされています。お金が心を満たすわけではありません。それは天には持っていけないもので、最後には虫に食われるものです(マタ6:19)。不変の価値あるものを早く見いだして、ソロモンのようにむなしいと嘆かないようにしたいものです。