裸でかしこに帰ろう

伝道5:15「母の胎から出て来たときのように、また裸でもとの所に帰る。彼は、自分の労苦によって得たものを、何一つ手に携えて行くことができない」
ヨブもまた同じことを語っています。「私は裸で母の胎から出てきた。また、裸で私はかしこに帰ろう(ヨブ1:21)」神の信仰を極めた人の意見が一致することは興味深いことです。それでも、主は地上で人が受ける富と財産を楽しむことを許し、自分の労苦を喜ぶようにされました(19)。しかし、どんなに世界中の富を手にしたとしても、神と共に生きる喜びに比べるなら、ほんの些細なものでしかないのです。どんなに贅を尽くしても、人からは羨ましがられても、神の栄光に満ちた神の国にはかないません。イエス様は「自分の宝を地上に蓄えるのはやめなさい(マタ6:19)」と言われました。地上が人の住むべき最終の約束の地ではありません。聖書にははっきりと天地は滅びると書かれています(ルカ21:33)。ペテロは「朽ちることも汚れることも、消えていくこともない資産を受け継ぐようにしてくださいました(1ペテ1:4)」と言い、それらが天に蓄えられていることを説明しています。ソロモンはかわいそうなことに、自分の身の回りにある金銀を目の当たりにして、これが永遠に続かないことを悟ったのです。多くの知恵の言葉を残したソロモンの究極の悟りは「ただ生きているのはむなしい」ということでした。人は造り主を覚えて始めて人生の喜びを知るのです。