私の連れ合い

雅歌5:16「そのことばは甘いぶどう酒。あの方のすべてがいとしい。エルサレムの娘たち。これが私の愛する方、これが私の連れ合いです」
愛する人を「連れ合い」というのは何か不自然ですが、ヘブライ語では「rea(レア)」という言葉が使われ、友達とか仲間という意味です。雅歌は男と女が交互に離している形式を取っているので、読み手がどちらがしゃべっているかを把握していないとわかりにくい詩です。5章では1節が男が話している言葉で、残りが女の話している言葉です。ただ9節だけは、エルサレムの娘たちの言葉だろうと思われます。女は愛する人が夜に尋ねてきたのに、着物をまた着ることを面倒くさがり戸を開けることが遅れてしまいました(5)。愛する人は去り、女は追いかけましたが、なかなか見つかりません。女にとって愛する人は特別で、他の男とは違っています。「頭(11)」「目(12)」「頬(13)」「腕(14)」「足(15)」「ことば(16)」といかに男がすばらしいかをイスラエルの娘たちに訴え、見つけたら女は愛に病んでいると話して欲しいと願うのです(8)。女はもちろん教会のことです。主が地上に来られたとき、人々はどう反応したでしょうか?さらに、もう一度主は来られるときにはどうでしょうか?「帰ってきた主人に目を覚ましているところを見られるしもべたちは幸いです(ルカ12:37)」そのときにはっきりと主を見分けられ、準備を怠っていない教会でありたいものです。