ダニエルへのねたみ

ダニ6:5「そこでこの人たちは言った。『私たちは、彼の神の律法について口実を見つけるのでなければ、このダニエルを訴えるどんな口実も見つけられない』」
ダニエルは他の大臣よりも能力が高く、神の霊に満たされており、神に従う者でした。しかし、他の高官たちはユダヤ人で捕虜から成り上がったダニエルを快く思えなかったようです。いつの時代にも自分よりも才能があり、能力がある人をねたむ人々がいます。「キリスト・イエスにあって敬虔に生きようと願う者はみな迫害を受けます(2テモ3:12)」とパウロも警告しているように、世の中で光り輝くことは、その裏で多くのねたみを買っていることを知るべきです。日本では「出るくいは打たれる」ということわざもあるほどで、みんな同じ程度のほうが安心できるわけです。能力の高い者を迫害する背景には、「比較する」という概念が潜んでおり、「比較」は差別を産み、ねたみを引き起こし、最後には迫害に至るのです。それは、人が人を判断しさばくから起こりうることだと思います。隣人のものを欲しがるのは、隣人のものが良く見えるからです。サタンは常に人を誘惑し、「あれはあなたのものより高価だ」とか「こちらのほうがもっと美しい」などと比較を促すのです。「いまもっているもので満足しなさい(ヘブ13:5)」というのは簡単なようで難しいことです。ダニエルの時代にも、パウロのような助言者がいたら、ダニエルはライオンの穴に入る必要もなかったでしょう。