主は敵のようになって

哀歌2:5「主は、敵のようになって、イスラエルを滅ぼし、そのすべての宮殿を滅ぼし、その要塞を荒れすたらせて、ユダの娘の中にうめきと嘆きをふやされた」
主が敵のようになってしまうなら、どうしようもありません。主がイスラエルに繁栄をもたらしたのは、主との約束が守られることが前提です。それは十戒に代表されるように律法として与えられました。何よりも優先されるべきは「わたしのほかに神があってはならない」という第一の戒めだと思います。平和なときが続き、いろいろなことがうまくいくなら、人は「神など必要ない」と思い始めるのです。「神に拠り頼まなくてもうまくいっているではないか?」…そうかも知れません。実際に神を信じていない人の多くは繁栄し、恵まれた環境にあるでしょう。また、他の神を信じる人が繁栄するなら、そちらのほうがご利益があるのではないか、と疑い始めます。主はどんなに悪条件にあっても、主に拠り頼むことを願っておられます。神と交わり、神の栄光を表わすことが人を造った目的だからです。地上でなに不自由なく過ごせたとしても、神抜きでもたらされた繁栄など何の意味もありません。イスラエルの人々は、他にもっと繁栄を約束してくれる神があるに違いないとでも思ったのでしょうか?バビロン捕囚に合うときには、主の怒りは頂点に達していたのです。