ナジル人も汚れ

哀歌4:7「そのナジル人は雪よりもきよく、乳よりも白かった。そのからだは、紅真珠より赤く、その姿はサファイヤのようであった」
ナジル人(びと)は、どこかの地域に住むイスラエルの人種ではありません。ある請願のために身を清め、神に仕える人を特別にナジル人と呼びました(民6章)。それは主の目には白く、美しいものに見えたようです。しかし、そのナジル人でさえ「すすよりも黒くなり、道ばたでも見分けがつかない(8)」と書かれ、さらに「皮膚は干からびて骨につき、かわいて枯れ木のようになった(8)」と表現されています。今まで美しかったものが汚れ、それまでうまくいっていたことが崩れ去るようになりました。これは神に従わなかった人への警告なのでしょうか?ある意味でそうかも知れません。この世で栄華を極めたとしても、主の用意した神の国にはかなわないでしょう。それよりも容赦ない主のさばきが哀歌のテーマのように思えます。終わりの時代にすべての人に福音が述べ伝えられたなら、カウントダウンの始まりです。信じる人々には更なる試練があり、信仰が試されます。そして最後まで抵抗し、サタンの側に付いた人々には主の容赦ない裁きが用意されています。哀歌の嘆きは捕囚にあったイスラエルのものですが、終末のさばきの様子が描かれているようにも思えます。嘆く前に主に従ったほうが得策なのではないでしょうか?