わたしが訓戒し

ホセ7:15「わたしが訓戒し、わたしが彼らの腕を強くしたのに、彼らはわたしに対して悪事をたくらむ」
近年、日本でも役所職員、警察官、大学教授などの痴漢やのぞきが増えています。高い教育を受けて、なおかつ社会的な地位がありつつも彼らの心のすき間は埋められないまま人生を送っているのです。主が訓戒し…とあるように、たとえ神が教育し誘惑から逃れるようにしたとしても、人に与えられた肉の思いは常に自分勝手な欲求を満たすように働くのです。それはいかに神と人とが一心同体になり、神の助けを借りて人生を送らなければならないかを教えてくれる様子だと思います。究極的には神と教会が結婚し、結ばれるようになることが神の計画です。イスラエルの民も他の神に頼らず、悪事を心に思い描かないでただ主のみに信頼し、望みを託していたなら歴史は変っていたでしょう。高水準の教育が必ずしも道徳的であるとは限りません。人はまず、何を心の支えとし、何に信頼して生きるかを学ばなければならないと思います。教育の第一歩は「主を恐れる」ということを徹底的に教え込むことです。畏敬の念は、人を高ぶりから救い、他人に対する思いやりを産みます。それは知恵あるソロモンが、異性におぼれ、異教の神を拝んだことを見てもわかります。「知恵=正義」ではなく、「主を恐れる=正義」になるべきではないでしょうか?