神殿も城壁も

ホセ8:14「イスラエルは自分の造り主を忘れて、多くの神殿を建て、ユダは城壁のある町々を増し加えた。しかし、わたしはその町々に火を放ち、その宮殿を焼き尽くす」
いくら神殿を建てても、そこに神の隣在がなければ無駄なことです。「この世界とその中にあるすべてのものをお造りになった神は、天地の主ですから、手でこしらえた宮などにはお住みになりません(使17:24)」とあるように、本来ならどんな神殿も主が住むには粗末なものなのです。それでも、主は人との和解を進めるために契約の箱を通して、年に一度大祭司に対して語りかけました。その場所がモーセに命じられた幕屋であり、ソロモン神殿です。イスラエルの民はいつの間にかオリジナルの神殿の意味を忘れ、「神殿」という建物があれば、神がそこにおられイスラエルの民を守ってくれると勘違いしていたのです。それはイスラエル国には契約の箱はなく、どんなに祭壇でいけにえを捧げたとしてもユダ国のエルサレム神殿にはかなわないことを知っていたからです。一方、ユダ国では神に拠り頼むより、実際の攻撃を防ぐ城壁を多くしようとしました。どちらの国でもまことの神に対する信頼よりも、目に見える実際の状況を改善することで、捕囚の預言から逃れようとしました。人の心が目に見えるものに頼っている限り、預言者がどんなに預言を通じて主に立ち返るようにしても無駄です。主が警告しているうちに気付ける人は幸いだと思います。