いけにえは喜ばない

ホセ6:6「わたしは誠実を喜ぶが、いけにえは喜ばない。全焼のいけにえより、むしろ神を知ることを喜ぶ」
マタイでは、イエス様がパリサイ人たちに取税人や罪人と食事をするのをとがめられたときに言われたのがこのホセアの引用です(マタ9:13)。新約ギリシャ語では「誠実」が「あわれみ」という言葉に代わっていますが、ホセアのヘブル語は「checed(カセッド)」という単語が使われており、「おもいやり」「情け」などの意味があり、マタイのギリシャ語では「eleos(エレオス)」が使われ「あわれみ」の意味があります。いけにえは人であろうと動物であろうと命を奪うことが捧げる条件になっています。主はどんないけにえを捧げられたとしても、そこに主を思う心が伴っていなければ喜ぶことができないことを伝えたかったのだと思います。イエス様の時代には律法に基づき、罪の許しのため羊をいけにえとして捧げることになっていました。しかし、経済的に余裕がなければ2羽の山鳩でもかまわないとレビ記にあります(レビ12:8)。そのため、神殿の中では山鳩を売る商売が流行っていました。彼らは羊を携えてなくても、神殿で山鳩を買い、それを捧げれば律法を守ることができ、なおかつ罪の許しを受けることができたのです。そのような心のこもっていない、いけにえをどんなに捧げたとしても神が喜ばれるはずがありません。イエス様が神殿の中で暴れたのは父を愛する愛ゆえでした(マタ21:12マコ11:15ルカ19:45ヨハ2:15)。