角笛が鳴ったら

アモス3:6「町で角笛が鳴ったら、民は驚かないだろうか。町にわざわいが起これば、それは主が下されるのではないだろうか」
ここで「主」とあるのは新改訳の約束事で「YHWH」というヘブライ語表記に「ヤハウェ」「ヤーウェ」「エホバ」などの発音をあえて避けて書かれている太文字の「主」です。新改訳の下段の注解にあるように、7節、8節の「神である主」という表記には「神」に「YHWH」という表記が当てられ、主には「adonay(アドナイ)」が使われています。神である主は預言者を通さずに何もしない(7)…と言い切るほど、人に起こるべきことを必ず伝えています。それは世界のはじめから世の終わりまで、すべて聖書に書かれていることです。問題はそれらの預言が地震の予知のように、いつ起きるかはわからないことです。しかも、それらのことは主によって隠されているとも書かれています(マタ24:42など)。現代では聖霊がひとりひとりに下り、誰もが預言をできるようになりました。それははっきりとしたものでなくても、時には良い予感、悪い予感などを心に呼び起こさせ導かれることもあります。心の中で角笛が鳴り響くように感じるなら、ひょっとしたらサタンが攻撃をしかけに来ているのかも知れません。誰か預言者を探すのではなく、クリスチャンひとりひとりが心を主に向けてへりくだり祈るとき、聖霊が必ず何が起きるのかを教えてくださるはずです。