一つの町、他の町

アモス4:7「わたしはまた、刈り入れまでなお三か月あるのに、あなたがたには雨をとどめ、一つの町には雨を降らせ、他の町には雨を降らせなかった。一つの畑には雨が降り、雨の降らなかった他の畑はかわききった」
もしこれらの町や畑が隣同士であるならまさに奇跡です。主はときに偏ったと思えることをなさいます。本来ならばカインは自分の捧げものが受け入れられず、弟アベルの捧げものが喜ばれたときに悟るべきでした(創4:4)。しかし「罪」はカインをとらえ、サタンはカインにささやき「主はあなたよりアベルを愛しておられる」とでも言ったのでしょうか?差別を感じたとき比較する心があるなら、その人はまんまとサタンの策略に陥ったのです。そこには主の大切なメッセージがあると悟れる人は幸いです。しかし、いったい何人の人が自分の置かれた立場や環境を理解できるでしょうか?初代教会においても、やもめが配給でなおざりにされていると苦情が出ました(使6:1)。使徒たちはこの問題を決して軽視せず、最も優秀な兄弟7人を配給係りに命じたのです(使6:3)。イエス様に直接教えられた者たちは、なおざりに感じる感情を理解していました。それは、差別を感じる人たちと、管理を任されている指導者たちの両方が気をつけなければならないことです。不当な扱いや差別をただ「主の御心があるから我慢しなさい」というのも横暴なやり方だと思います。上に立つ人はだれに対しても平等な態度が求められています。