衰え果てたとき

ヨナ2:7「私のたましいが私のうちに衰え果てたとき、私は主を思い出しました。私の祈りはあなたに、あなたの聖なる宮に届きました」
ヨナは主に逆らい、ニネベにこのままでは主の怒りに触れると警告しに行くことを拒否しました。ニネベは現在のイラクにあったと言われ、アッシリアの首都でした。一方、タルシシュはスペインの地中海側にある大きな港町で、2つの都市はイスラエルをはさんで、真逆の方向にありました。ヨナの行動には理由があり、主の御心をやみ雲に毛嫌いしたわけではありません。ヨナにはやがてイスラエル王国を捕囚にあわせるアッシリアを救うことがどうしても理解できなかったのです。神を信じているなら、誰でも大なり小なりこのような経験はあると思います。しかも、ヨナには愛国心があり、同胞を痛めつける者たちを助けるようなことはしたくなかったのです。一見、ヨナにも理があり、正しいようにも思えますが、主の大きな計画の前には、人のその場に流されたような感情など何の意味もなさないのです。それは、人が生きるためには自分の利得が守られ、誰もが主から祝福を受けて恵まれる人生を送るだろう、という錯覚から来ているのです。人がいつでも健康で力に満ち、ポジティブであるなら高慢になるだけです。主はときとして、人を衰えさせ、心を打ち砕き、人が主の前にかしぎ付き祈ることをさせます。人が弱いときに、主は強くなり、人が本当に救いを求めるときに、本物の祈りが聞かれるからです。