滅んで当然

ヨナ4:11「まして、わたしは、この大きな町ニネベを惜しまないでいられようか。そこには、右も左もわきまえない十二万以上の人間と、数多くの家畜とがいるではないか」
ヨナにとっての「当然」とは何だったのでしょうか?いままでの主のなさったことを見るならば、イスラエルの敵に対しては厳しい態度で臨まれ、あるときは滅ぼしてきました。敵を救うなどという態度は前代未聞です。それゆえ、ヨナはイスラエルの敵国アッシリアの首都に行くことを嫌い、ニネベに滅びを伝えることを拒んだのです。経験値からある結果を導き、その結果が正しいと思い込むことはある意味しかたのないことです。しかし、主はもしニネベの人が悔い改めないなら40日後に滅ぼすと言われているのです(3:4)。ヨナはニネベは滅ぶべきだと思っていました。預言者である自分がニネベに行かず、主から与えられた警告を伝えなければ、彼らは悔い改めることもなく滅びるだろう…ヨナの自分勝手な想像は決して主の御心ではありませんでした。歴史的に見るならば、ニネベはやがてBC621年にメディア、バビロニア、スキタイの連合軍の攻撃を受け陥落します。彼らの繁栄は永遠のものではなかったのです。しかし、主が定めた40日後の滅びのときは免れました。ヨナの働きによって、ニネベの人が悔い改めたからです。ヨナ書は預言書というよりも、ヨナが主によって訓練される姿を描いたものです。私たちが「当然」と思う前に、主は何を思っているかを探るべきだと思います。