たわごとを言うな

ミカ2:6「『たわごとを言うな』と言って、彼らはたわごとを言っている。そんなたわごとを言ってはならない。恥を避けることはできない」
「たわごと」は口語訳では「説教」が使われ、原語では「nataph(ナターフ)」という言葉が使われており、「しずくがたれる」という意味のほかに「預言をする」という意味があります。英語訳ではKJV、NIV共に「prophesy」でNASBは「speak」となっています。預言がたわごとというのもおかしい表現ですが、成就もしない預言を口にすることは、愚かなことだと言いたかったのではないでしょうか?どんなに預言者であろうと、説教者であろうと、その口から出る言葉が真実なものでなければ、それは「たわごと」にしか聞こえず、もし預言であるなら、その言葉の成就なくして神の言葉であることを主張するのはこっけいなことです。それゆえミカは預言者たちがでたらめな預言を止めよと言いつつ、彼ら自身が同じようにでたらめな預言を続けているのを皮肉っているようにも聞こえます。とにかく預言者たちの口から出る言葉のひとつひとつが真実でないならば、彼らの言っていることはもはや「預言」ではなく「たわごと」になってしまうのです。そんな預言者たちに用意されているのは、「恥」であり、彼らがイスラエルやユダが神によって守られるという嘘の預言に対し、ミカは真っ向から反論し、正そうとしているのだと思います。