罪を見過ごされ

ミカ7:18「あなたのような神が、ほかにあるでしょうか。あなたは、咎を赦し、ご自分のものである残りの者のために、そむきの罪を見過ごされ、怒りをいつまでも持ち続けず、いつくしみを喜ばれるからです」
同時期のイザヤもメシヤ預言をしており(イザ53,61章など)、むしろより詳しく預言しているのはイザヤかもしれません。ミカは自分たちが犯した罪を見過ごされる…と言っています。主の怒りが頂点に達したとき、さばきは行なわれます。そのとき主の選びのために残されている者たちは、主の怒りから見過ごされます。出エジプトの出来事は聖書に書かれた最初の予兆であり、世の終わりに起きるさばきのひな形でもあります。世の終わりの時代の人々の心にはキリストの血で書かれたしるしが刻まれ、主の怒りは子羊の血を避けていきます。罪、血、見過ごされる…と条件は決まっています。ただし、世の終わりには実際の血ではなく、信仰によってキリストを信じた者たちに血が塗られたと判断されるのです。目に見えない神を実際にいると確信できることが信仰です(ヘブ11:1)。信じるのに何かを強いられることはありません。ただ、信じるだけでいいのです。もっとも、それが人にとって難しいことであり、神の知恵がそこにあります。単純ゆえに疑い、人の心は見えるものに頼ろうとするのです。