主はねたみ、復讐する神

ナホム1:2「主はねたみ、復讐する神。主は復讐し、憤る方。主はその仇に復讐する方。敵に怒りを保つ方」
主のこういう一面は見たくないという人もいるかも知れませんが、聖書にははっきりと主はねたみ、復讐する神であると書かれています。「ねたみ」は英語では「jealous」ですが、ヘブライ語では「qannow(カノー)」が使われ、聖書ではこことヨシュア24章19節の2ヶ所だけに登場します。ナホムがニネベの人々に伝えた最初の言葉がこれです。ニネベと聞くならヨナを思い出します。ヨナ書の最後には「ニネベの町を惜しまないでいられようか(ヨナ4:11)」と書かれています。ヨナがニネベが滅びる預言を携えて行ったため、「彼らが悪の道から立ち返るために努力し(ヨナ3:10)」…神はわざわいを思いなおされた、とあります。しかし、ナホムの預言では「あなたのうちから、主に対して悪巧みをし、よこしまなことを計る者が出たからだ(11)」とあり、一度は悔い改めたものの、再び悪の道へ進むようになったことがわかります。主のあわれみを受け、一度主の道を歩んだにもかかわらず、再びもとの罪の生活に戻ってしまうなら最初よりももっと事態は悪化します(マタ12:45)。せっかく救われたのに御言葉が育たず枯れてしまうなら(マタ13:1-9)、主はニネベの人々のようにその人を扱うかも知れません。愛の神は何でも赦してくれる…と勘違いしないことです。義は義なのです。