肩と肩を寄せ合って

ゼパ3:9「そのとき、わたしは、国々の民のくちびるを変えてきよくする。彼らはみな主の御名によって祈り、一つになって主に仕える」
「一つになって」は新改訳の下の注解にあるように、「一つの肩になって」とも訳せます。あるいは「肩と肩を寄せ合って」とも訳せます。もし、神がロボットを作ったのであれば、ロボットは嘘をつかず、作業するときは忠実に命じられたことを行なうでしょう。逆に何かの命令がなければロボットは単なる人の形をした容器でしかありません。自由に選択する意思を持ちながら、なおかつ肉を与え、神に反する誘惑を受けてもなお神を選択することを主は望んでおられます。ゼパニヤの預言のように、最後にはくちびるが清められ偽りを言わず、人々はみな肩を寄せ合い一つになって主に仕えるときが来るようになります。人が生きている限り肉の思いは人を悩ませることでしょう。天の御国に入れる人たちは、新しく御国ができてから産まれた人たちではありません。それは、復活の時には「めとることも嫁ぐこともなく(マタ22::30)」と書かれ、新しく子どもが産まれることがないことを暗示しているからです。新天地になって新しく子どもが産まれないとしたら、それまでに生きてきた人たちが新天地の住人になることが考えられます。彼らは主のために耐え忍び、誘惑に打ち勝ち、主の栄光を現わし、永遠のいのちと朽ちないからだが与えられた者たちです。