礼服を着せよう

ゼカリヤ3:4「御使いは、自分の前に立っている者たちに答えてこう言った。『彼のよごれた服を脱がせよ』そして彼はヨシュアに言った。『見よ。わたしは、あなたの不義を除いた。あなたに礼服を着せよう』」
エス様の御国のたとえ話に、王子の結婚披露宴に客を招待するものがあります(マタ22章)。招待した客は各々自分の都合を優先し、王子の披露宴には行きませんでした。そこで誰でも通りから引っ張って来て、宴会場はいっぱいになりました。しかし一人だけ礼服を着ていない者がいて、その者は放り出される…という話です。ここで「礼服」がキーワードになってきます。ヨシュアも汚れた服を脱がされ、礼服を着せられました。汚れは罪のことです。そうすると礼服は「救い」という意味になります。またターバンが必要だとゼカリヤは訴えます(5)。かぶりもの、あるいはかぶとは「救い」だとパウロは言っています(エペ6:17)。また、頭は天から聖霊がくだった場所でもあるので(マタ3:16)、ターバンは聖霊のたとえだと言う人もいます。とにかく、ヨシュアには礼服とターバンが着せられ、その日には自分の友を招き合うであろう(10)…とあります。その日は主が決められた日のことです。ヨシュアは今、まぼろしの中にいて夢を見るように預言が与えられています。礼服とターバンが救いと聖霊のたとえならば、現在のクリスチャンはゼカリヤの預言を注意深く読む必要があると思います。