ふたりの油注がれた者

ゼカリヤ4:14「彼は言った『これらは、全地の主のそばに立つ、ふたりの油そそがれた者だ』」
ゼカリヤに告げられた油そそがれたふたりとはおそらく、ゼルバベルとヨシュアのことだったと思います。しかし、このことが告げられる前に御使いは「権力によらず、能力によらず、わたしの霊によって(6)」と答えています。ゼカリヤの「主よ知りません(5と13)」というのに対し、御使いが伝えたのが「わたしの霊によって」と「油注がれたふたり」でした。どちらも聖霊を指している言葉です。したがって、油注がれたふたりはイエス様以降に現われる聖霊に満たされたふたりのことをも預言しているのだと思います。ゼルバベルもヨシュアユダヤ人たちには目に見える指導者たちでしたが、そのふたりが神の霊に導かれていることはゼカリヤのみが知ることでした。オリーブの2本の木(3)は黙示録に書かれている「荒布を着て1260日預言する(黙11:4)」者たちと一致します。聖霊の働きは、カトリックキリスト教を牛耳っていた中世に衰退し、ルターによるプロテスタント運動が始まり聖書の御言葉による信仰が中心になるまで消えたようになっていました。1900年以降、全世界で火によるバプテスマの運動が起こり、聖霊の力は再び取り戻すことができました。2000年が過ぎ、聖霊の力はますます盛んになり、やがて黙示録にあるように霊に導かれたふたりが登場するのではないでしょうか?