本物の預言者を拒む

ゼカリヤ7:12「彼らは心を金剛石のようにして、万軍の主がその御霊により、先の預言者たちを通して送られたおしえとみことばを、聞き入れなかった。そこで、万軍の主から大きな怒りが下った」
本来なら祭司、大祭司が神の言葉を取り次ぐ者のはずでした。しかし、サムエルの時代にはすでに主の言葉はまれにしか語られなかったと書かれています(1サム3:1)。サムエル以降、預言者が大祭司に代わって神の言葉を取り次ぐ者になりました。預言者の中には王の機嫌をとるような都合の良い預言をする者もいましたが(1王22:7)、中には御霊に導かれ本物の預言者もいたのです。イエス様はそのような預言者は石で打たれ、殺されイスラエルは受け入れなかったと証言しています(ルカ13:34)。ここでもゼカリヤは御霊に導かれた本物の預言者の言うことを聞かず、自分たちの耳ざわりな預言は避けてきたと言っています。誰でも自分の国が滅びるとか、やがて自分たちが捕らわれひどい目に逢うことを喜んで聞く人はいません。祝福の預言には喜んで耳を傾け、災いの言葉は拒否し、語った者を憎む姿勢は決してイスラエルの民だけのことを言っているのではありません。イスラエルの民のたどった道は、そのままクリスチャンの歩む道でもあります。人の心が喜ぶように主が働いているのではありません。主の栄光が輝くように、人があるのです。主の喜びが人の喜びになれるように悟ることができれば幸いだと思います。