ゼカリヤ版1000年王国

ゼカリヤ14:7「これはただ一つの日であって、これは主に知られている。昼も夜もない。夕暮れ時に、光がある」
1日が1000年のようであるなら(2ペテ3:8)、ゼカリヤの言う1つの日は1000年王国のことだと思います(黙20:5)。黙示録に書かれている新しい天地には夜がないことがわかっています(黙22:5)。主が光となり、すべてを照らし昼も夜も明るい状態です。本来なら夕暮れの時刻になっても日が沈むことはありません。むしろ、夕暮れの時刻、すなわち日が暮れ照らすものがなくなる時刻になっても、主の栄光はますます輝くのです。人は明るすぎる場所で寝ることはできません。1000年王国では拷問のように人は明るさで苦しめられるのでしょうか?そんなことはありません。それは、天地が変わり主の再臨があるときには、人も死からよみがえり、新しい体が与えられるからです。それはパウロによれば「朽ちない」体であると言っています(1コリ15:53)。おそらく眠ることもなく、老いることもない完璧な体が与えられるのでしょう。それはもともとアダムに与えられた体でした。しかし、アダムが善悪を知る知識の実を食べたことにより、「死」が人を支配したのです。キリストを信じる者は現在は肉の欲に苦しめられますが、やがてくる約束の時には永遠を着ることが約束されています。それゆえ、信じる者が死を乗り越え、打ち勝つことが聖書に書かれているのです。