ずるい者

マラキ1:14「群れのうちに雄の獣がいて、これをささげると誓いながら、損傷のあるのを主にささげるずるい者は、のろわれる。わたしが大いなる王であり、わたしの名が諸国の民の間で、恐れられているからだ」
マラキと言えばよくメッセージ題材になる「十分の一」献金のことが思い出されますが(3:8)、ただ捧げるだけではダメなようです。主への捧げものには傷があってはなりません(レビ22:21など)。しかも、捧げると誓っているのは主への捧げものの手順や内容を知っている証拠です。訳も分からず誓うわけにはいきませんから、このずるい者のやったことは確信犯です。神が恐れられているのにもかかわらず、神を無視することは冒涜に値します。神を知らない者は、神をあなどれます。しかし、神を知りながら、その深さ、清さを体験していながらあなどるなら、その者はのろわれます。聖書にそう書いてあるからです。人間関係でもそうですが、お互いに知らない同士が傷つけあう関係になるのです。相手のことを熟知しているなら、悪い関係になりえないと思います。ストーカーのごとく、相手を調べ、起床から就寝まで相手を知る人が、その人を悪く言うことは心理学的にもあり得ないことだそうです。神をもっと知りたいと思うなら、聖書を読むことが近道だと思います。聖書には主のすべての御心が書かれているからです。