義の太陽

マラキ4:2「しかし、わたしの名を恐れるあなたがたには、義の太陽が上り、その翼には、いやしがある。あなたがたは外に出て、牛舎の子牛のようにはね回る」
主を恐れる者には義の太陽が上る…とあります。義の太陽は、イエス様のことだと思います。そこには喜びがあり、子牛のように跳ね回るのです。義の太陽が与えられるのは、主を恐れる者たちです。「義」は主を恐れる者たちに与えられ、主の律法を守ろうとする者たちには義があるのです。人を殺さず、盗まず、嘘を言わない…これらを主が見ているからという理由で行なわない人は、主を恐れている人です。神は人には見えませんが、見えないからといってあなどるなら、主を恐れていないのです。いつも主とともに歩む人たちには、救い主が与えられ、救い主が罪のために死んでくださったことを信じる信仰によって、主は義だと認めてくださるのです。信仰があれば義の太陽がその人の心に上り、心を明るく照らし、照らされた心は喜びに満たされます。こういった原理をマラキは言いたかったのではないでしょうか?マラキの時代には、神殿の再建は果たせたものの、ペルシャの支配から解放されたわけではなく、これから約400年、イエス様の時代になるまで属国として生きながらえるようになります。それでも神殿において罪のための捧げものが捧げられ、祭司たちによって主に仕えることができたのは奇跡だったと思います。