井戸掘り物語

創26:15「それでペリシテ人は、イサクの父アブラハムの時代に、父のしもべたちが掘ったすべての井戸に土を満たしてこれをふさいだ」
イサクはアビメレクに自分の妻を妹だと嘘を言ったにもかかわらず祝福され、蒔いた種が100倍になるほどの収穫を得ました。それは、主に従い示された地に住んだからです。それゆえにペリシテ人のねたみを買い、生活の基盤である井戸をことごとく埋められてしまったのです。水は生死にかかわる重要なアイテムです。イサクは井戸を掘りましたが、2度までも横取りされてしまいます。当時、井戸を掘ることはかなりの重労働に加え、場所をはずしてしまうと水は出てこないこともあり、かなりのリスクを負った作業でした。イサクは進んで争うことをせず、井戸は取られてしまいます。それでも3つ目の井戸を掘り当てたとき、争いは起きず主からの祝福を受けます。そして4つ目の井戸を掘り始めたとき、アビメレクと和平を結び、彼らは平和のうちに帰っていった(31)、と書かれています。イサクの争わない姿勢と、主に従う心は現代のクリスチャンも見習うべき態度だと思います。ある意味、アブラハムの過保護で育てられ、世間知らずのようなイメージがありますが、種に従う態度はさすがに父ゆずりです。常に忍耐し、主の祝福を待つイサクの姿勢にアブラハム、イサク、ヤコブの神と言われた、主の名前の由来があるような気がします。