毒麦と一緒

マタ13:30「だから、収穫まで、両方とも育つままにしておきなさい。収穫の時期になったら、私は刈る人たちに、まず、毒麦を集め、焼くために束にしなさい。麦のほうは、集めて私の倉に納めなさい、と言いましょう』」
毒麦を蒔いたのは悪魔だと書かれています(39)。しかも毒麦はすぐに抜かれず、そのまま育つままにされるのです。理由は「毒麦を抜き集めるうちに、麦もいっしょに抜き取るかもしれない(29)」ということです。しかし、収穫の時期になったら刈り取る人たちは間違えずに毒麦を集めて、焼くために束にします。なにか矛盾しているかのようですが、イエス様は主の御計画をこの話の中に取り入れたのだと思います。毒麦をいま抜かずに放置することでやがて「そのとき、正しい者たちは、彼らの父の御国で太陽のように輝く(43)」ようになるのです。天地創造の際にやみがすでにあったように、毒麦をこの世に残すことによってやみに輝く光の子を見せることができるのです。それでも毒麦と一緒に暮らすクリスチャンにとっては辛い時期が続きます。最後まで耐えることができればいのちの冠が与えられるでしょう(ヤコブ1:12)。今は毒麦と良い麦が混在している状態です。それは必ずしも教会と教会以外の世の世界を指しているのではないと思います。おなじ教会の中でも毒麦は混じることはあるでしょう。御言葉を見極め、主を愛する態度をしっかり判断する必要があると思います。