誰が十字架につけたか?

マタ20:18「さあ、これから、わたしたちはエルサレムに向かって行きます。人の子は、祭司長、律法学者たちに引き渡されるのです。彼らは人の子を死刑に定めます」
2004年公開のメルギブソン監督の映画「パッション」ではイエス様をユダヤ人が追及し、十字架に欠けた張本人だと表現されたとして、ユダヤ人の団体が映画に対して抗議をしたことがあります。しかし、聖書には祭司長、律法学者たちがイエス様を死刑にすると書かれています。しかも、十字架に定められたときに民衆は「その人の血は、私たちや子どもたちの上にかかってもいい(27:25)」とさえ言っているのです。確かに教会時代初期にはパウロなどのユダヤ人がクリスチャンを迫害していましたが、その後の歴史を客観的に見てみるならば、キリスト教ならびにその他の民族がユダヤ人の弾圧をしています。ユダヤ人には安住の土地は与えられず、常に寄留する民族であり、どこの国でも彼らの風習は受け入れられず、排他的な人種として疎ましく扱われてきました。第2次世界大戦のドイツのユダヤ人迫害は有名で、これがきっかけでイスラエル再興が果たせたとさえ言われています。彼らの血に対する購いは充分にされたと思います。これからは、終わりの時代に向かって彼らの重要な役割が果たされる番です。主が選ばれた民族なら、必ず主が責任を取られるはずです。ユダヤ人は終わりの時代にこそ必要な民族だと思います。