主は私の主に…

マタ22:44「『主は私の主に言われた。「わたしがあなたの敵をあなたの足の下に従わせるまでは、わたしの右の座に着いていなさい」』と言っているのですか」
詩篇110編1節からの引用です。この中で「主」がふたり出てきます。ギリシャ語や日本語では違いがよくわかりませんが、旧約ヘブライ語では「エホバ」が「アドナイ」に語ったことになっています。キリストはまだダビデの時代にはいませんでしたが、ダビデは詩を歌うときにまぼろしが与えられていたようで、詩篇22編の「わが神わが神…」はイエス様が十字架にかかったときの様子がダビデには見えていたようです。確かにイエス様は「エッサイの根(イザ11:10)」であり、ダビデの子孫としてお生まれになりました。まるで自分がユダ族やダビデの子孫を否定しているかのようですが、そうではありません。イエス様は「われわれの父はアブラハムだと思ってはならない…この石ころからでも、アブラハムの子孫を起こすことがおできになるのです」と言われました(3:9)。また、バプテスマのヨハネには「自分の見聞きしたことを(11:4)」信じるべきだと言われ、ご自身がキリストだとは言いませんでした。イエス様はキリストとは名乗らず、ご自分のなさるわざと言葉によって証しされようとしているのです。それは、クリスチャンに対する道しるべでもあります。イエス様以降、血筋ではなく信仰によって救いを受けられるようになったのです。