頭の上に手を置く

レビ1:4「その人は、全焼のいけにえの頭の上に手を置く。それが彼を贖うため、彼の代わりに受け入れられるためである」
いけにえに手を置くことは他の箇所でも命じられることで(出29章、レビ3章)、いけにえに手を置かないで捧げることはありません。手を置くことは自分からいけにえに対して罪が移ったこと指しているのだと思います。新約では手を置くことで聖霊が与えられ(使8:17)、また初代教会では手を置く儀式があったことが記されています(ヘブ6:2)。その儀式はどういうものか詳しく書かれていませんが、神に仕える者を任命するときに神からの権威を与えるために行なっていたのかもしれません。そうすると手を置く行為は、1)いけにえが自分の身代わりだと神に示すこと 2)聖霊が与えられる 3)権威を移譲するとき…という3パターンが聖書が示している手を置くことの意味になります。仮に手を触れることで何かが起きるなら、世の中は大変なことになってしまいます。実際には何かが起きるわけではありません。しかし、神を信じる者たちが、信仰を持って手を置くとき神の力が働くのだと思います。それでもやみ雲に手を置くことは神の権威を汚すことにもなり、信仰もないのに、あるいは神からの確信もないのに手を置くならば、新約の時代にシモンが犯した過ちと同じ結果になってしまうでしょう(使8:18)。かたちを真似しても主は喜ばれないのです。