祭壇の火を消してはならない

レビ6:12「祭壇の火はそのまま燃え続けさせ、それを消してはならない。かえって、祭司は朝ごとに、その上にたきぎをくべ、その上に全焼のいけにえを整え、和解のいけにえの脂肪をその上で焼いて煙にしなさい」
火は聖霊の象徴としてよく聖書に登場します。新約ではいけにえは賛美だと書かれ(ヘブ13:15)、主をほめたたえることがそのままいけにえを捧げることになっています。そして、それを燃やす火は消してはなりません。幕屋では絶やしてはならないいくつかのものがありました。祭司は寝ずの番をして、祭壇の火、聖所では燭台の火(24:2)を見張り、祭壇では朝夕に香がたかれ(出30:7)、またパンの机には安息日ごとに新しいパンが(24:8)捧なければなりません。これらに加え、日々の罪のあがない、動物をさばく作業や、血を降りかけたり、香を練ったりと神に仕える人たちの作業は膨大なものだったのです。どれかひとつでも絶やすなら神はお怒りなり、会見することもできなくなってしまうでしょう。現代で言うなら、聖霊の火も、祈りも御言葉も、すべてのバランスが取れて幕屋(教会)は成り立つのだと思います。どれか一つだけ特化したところで、主の命じられたすべてのアイテムを満たすことにはできないのです。