カシュルート(コーシェル)

レビ11:43「あなたがたは群生するどんなものによっても、自分自身を忌むべきものとしてはならない。またそれによって、身を汚し、それによって汚れたものとなってはならない」
レビ記11章に書かれている内容は具体的で、ユダヤ人は今もこの言葉を守りコーシェル(カシュルート)と呼ばれる食事規定があります。しかし、ユダヤ人が勘違いしたことは、「汚れる」という意味が人の心にも及ぶと考えていたことです。イエス様が地上に来られたとき、「外側から人に入って、人を汚すことのできる物は何もありません(マコ7:14)」と言われ、「汚れる」という概念が根本的に間違っていたことを示しました。食べ物が心に入ることはありません。胃の中に入りトイレに流されるだけです(マコ7:19)。レビ記に書かれている食事規定は、あくまで人の知恵が細菌や毒などに及んでいない時代にユダヤ人たちを守る意味で設けられたものです。人は汚れた思いで汚れるのです。汚れた思いとは「悪い考え、不品行、盗み、殺人、姦淫、貪欲、よこしま、欺き、好色、ねたみ、そしり、高ぶり、愚かさ(マコ7:21-22)」で、これらの思いを持つものは、汚れたものとされるのです。ユダヤ人は今でもコーシェルの食事規定に反するものを食べるなら罪を犯すことになると考えています。もし、ユダヤ人にも福音の言葉が伝えられたなら、古くて間違った理解の律法を守っていたユダヤ人たちは恥じ入ることになるのです。