一般の人は食べられない

レビ22:10「一般の者はだれも聖なるものを食べてはならない。祭司と同居している者や雇い人は、聖なるものを食べてはならない」
多くの教会では聖さん式のパンを食べられる人は洗礼を受けて信仰がはっきりしている人というように定義しているようです。もちろん、いろいろな判断基準がそれぞれの教会であるので一概には言えませんが、ただ教会に集っているだけならそれは求道者という扱いになります。その人たちは聖さん式のパンやぶどう酒を食べたり飲んだりできません。また、クリスチャンと言えども、その行ないや態度が主に栄光を帰さない人もいます。心にわだかまりや憎しみ、嫉妬など平安ではないものがあるなら、心が汚れている状態です。汚れている人は聖なるものを食べることができません。心がニュートラルで主にだけ向いている人は礼拝でも聖さん式でも参加することができます。土曜日に大きなトラブルをかかえて、その気持ちのまま日曜に礼拝に出ることはできません。問題が解決しないにしろ、すべての思い悩みを主の前に差し出して祈り、ときには悔い改める必要もあるでしょう。とにかくクリスチャンは祭司として召されたのですから、「一般の人」などという肩書きを付けられたのでは主に申し訳ないです。主は何度も「わたしは主である」と仰せられています。その全知全能なるお方の前に出るとき、混ざりものがあったり、汚れていてはいけないのです。