初子の代わり

民3:45「レビ人をイスラエル人のうちのすべての初子の代わりに、またレビ人の家畜を彼らの家畜の代わりに取れ。レビ人はわたしのものでなければならない。わたしは主である 」
レビ人には割り当ての土地も与えられず、家畜も他のイスラエルの部族に取られてしまいました。何ももらえないけれども、主はレビ人は「わたしのもの」だと宣言しています。本来ならばイスラエルに生まれた初子はすべて主に捧げられ、主のために働くものとして用いられるはずです。主はレビ人をその代わりとし、イスラエルの初子すべての人数分のレビ人が主に仕えることで、初子を差し出して捧げなくてもいいようにされたのです。ところがイスラエルの初子がレビ人の人数を上回っていました。そこで、購い金を支払うことで初子の代わりとされました(46)。最後は金か…と思うかもしれませんが、レビと初子の数がそろわなければ、主の購いは成立しないのです。それほど、初子の意味は大きく、またレビ人が主に仕えることも主にとっては大切なことです。レビ人は幼年期から天幕の奉仕に携わり、幕屋の仕事は25才から始まり(8:24)、祭司職は30才から50才までと決まっています(4:23)。幕屋の時代には移動がありましたが、神殿ができてからは祭司はそのほとんどを神殿の中で過ごしていました。そのように聖められた人生を送る人たちこそが、初子の購いと見なされるのです。