主と出会うまで

民7:89「モーセは、主と語るために会見の天幕に入ると、あかしの箱の上にある「贖いのふた」の二つのケルビムの間から、彼に語られる御声を聞いた。主は彼に語られた」
7章には12部族がそれぞれ定められた教えに従って、いけにえが捧げられた様子が描かれています。まず銀の皿と銀の鉢が奉げられ、それぞれには油の入った小麦粉が詰められていました(13)。そして全焼、罪のため、和解のためのささげものと続きます(15-17)。全焼のささげものは主の前に聖別するため(レビ1章)、罪のためのいけにえは自分の犯した罪を購うため(レビ2章)、和解のためのいけにえは、文字通り主との和解をするためです(レビ3章)。12部族はそれぞれ教えの通りに捧げ、イスラエルの民の罪があがなわれ、ようやくモーセが天幕に入る準備が整えられました。もし、少しでも罪が残され、和解も成立していなければ、主と会うことは許されません。旧約では無条件で教えられたとおりにいけにえを捧げれば、主との面会ができましたが、新約では一人一人が罪を認め、悔い改めなければ主と出会うことはありません(1ヨハ1:9)。そして口でイエスは主だと告白するなら救われます(ロマ10:10)。購いのふたにあるケルビムの間から聞こえる主の御声は、祭司であるクリスチャン全員が聞くことができるものです(1ペテ2:9)。