ナジル人

民6:5「彼がナジル人としての聖別の誓願を立てている間、頭にかみそりを当ててはならない。主のものとして身を聖別している期間が満ちるまで、彼は聖なるものであって、頭の髪の毛をのばしておかなければならない」
士師記に登場するサムソンの母、すなわちマノアの妻は天使によってお腹の中にいる子どもはナジル人だと教えられ、生まれてくる子どもの頭にかみそりを当ててはならない、と命じられました(士13:5)。ナジル人が聖書に登場するのはこの民数記6章が最初で、6章はまるまるナジル人に対する注意と命令に費やしています。それほど重要なナジル人の意味は「聖別」というもので、サムエルの母ハンナもサムエルが生まれるために請願をしました(1サム1:21)。また、黙示録には子羊とともにいる14万4千人の男のことが書かれていますが、彼らは女に汚されたことのない童貞だとあります(黙14:4)。彼らもまたナジル人と同じように聖別された人たちだと思います。何かを断ったり、すべきことをしないでいることで、神への忠誠を誓うことは聖別される行為だったようです。必要なものを断って、生活に不自由さを覚えることで、心に飢え渇きをキープすることは、荒野で40日断食をしたイエス様の様子を思い起こさせます。神であり、何不自由のないイエス様でさえ、肉の誘惑から離れるために荒野に身を置いたのであるなら、人はどれだけ努力して主を求めなければならないのでしょうか?