赤い牛

民19:9「身のきよい人がその雌牛の灰を集め、宿営の外のきよい所に置き、イスラエル人の会衆のため、汚れをきよめる水を作るために、それを保存しておく。これは罪のきよめのためである」
「雌牛の灰」とは、完全な赤い雌牛の灰ことです(2)。赤という概念は、現在のように細かい色の種類がないために、オレンジや茶色も「赤」と認識していたようです。赤い牛はおそらく茶色の牛を指すのだと思います。その赤い牛が焼き尽くされた灰が罪を聖めるものになるのです。パウロもこのことに触れ、イエス様の捧げられたいのちがいかに人類の聖めになったかを説明しています。「まして、キリストが傷のないご自身を、とこしえの御霊によって神におささげになったその血は、どんなにか私たちの良心をきよめて死んだ行ないから離れさせ、生ける神に仕える者とすることでしょう(ヘブ9:14)」…この箇所で使われた「雌牛の灰」というのが、民数記19章の赤い牛の灰のことです。そして19章に書かれていることは、死体に触れた者が汚れ、どのようにしてその汚れを聖めるかということです。死は罪が招いたものです(ロマ6:23)。死体は罪を象徴するもので、死体に触れることは罪に陥ることと同意義になります。赤い牛の灰はすでに注がれました。あとはそのことを信じるだけで、人は聖められ死から解放されるのです。