ハレルな人

詩5:5「誇り高ぶる者たちは御目の前に立つことはできません。あなたは不法を行なうすべての者を憎まれます」
「誇り高ぶる」の箇所にはヘブル語の「halal(ハラル)」が使われ、「ハレルヤ」の「ハレル」と同じ単語で、「輝く」とか「高く掲げられる」「誇る」などの意味があります。ハラルは他の人のために讃えるために使われると自然ですが、自分みずからを「ハラル」と自称するのは、高慢なイメージになります。「ハラル」は動詞として使われるので、「ほめたたえられる者が目の前に立つなら」…と訳せます。ここでは主語がないので、前後の脈らくから「目の前」が主の目の前であることがわかります。そして、「不法を行なうすべてのもの」と「目の前に立つもの」が「sane(サネイ:嫌われるという意味)」にかかってきます。人は人生の中で1度ぐらいは自慢に思う経験をするでしょう。しかし、それにしがみついて離さず、なんとか自分の栄光が輝き続けようともがくのです。パウロは「十字架以外に誇るものがあってはならない(ガラ6:14)」といい、さらに「誇るなら自分の弱さを誇る(2コリ11:30)」とも語っています。主の前に立つとき「自分の弱さ」と「キリストの十字架」を誇りとして立つならば、主は受け入れてくださるのではないでしょうか?