苦しみの中で

詩18:6「私は苦しみの中に主を呼び求め、助けを求めてわが神に叫んだ。主はその宮で私の声を聞かれ、御前に助けを求めた私の叫びは、御耳に届いた」
詩篇18編は2サムエル記22章に書かれているダビデの賛歌と同じです。サムエル記でも「特にサウルの手から彼を救い出された日に、ダビデはこの歌のことばを主に歌った(2サム22:1)」と書かれているように、同じ内容が詩篇にも収められています。ダビデは敵に囲まれたとき主を求めました。彼には家臣に、一人で300人をも倒す勇士(2サム23:18)が37人もおり、その中の3勇士は1000人が相手になってもかなわないほど強い勇者でした(2サム23章)。それでもダビデはそのような強い勇士たちには頼らず、主の御名を呼び求めたのです。それは「主のほかにだれが神であろうか(18)」とあるように、ダビデが誰によって生かされているかを知っていたからです。神が生きていて自分が生かされていることは、自分の努力によって富や名声を得た者にはわからないことでしょう。ダビデは幼い頃から主と個人的に交わりを持ってきました。それは幕屋で大祭司が年に一度、細心の注意を払って罪のないように謁見する様子とはまるで違っていたものです。言うなれば現代のクリスチャンと同じスタイルで、羊飼いの一少年が何をも恐れず、主に語りかけていたのです。当時の人たちにはまるで見当がつかない神へのアプローチです。しかし主はそれを心から喜ばれました。そして現代のクリスチャンもまたひとりひとりが祭司として祈りを捧げることができるのです。