エル・エル・マー・アザブ

詩22:1「わが神、わが神。どうして、私をお見捨てになったのですか。遠く離れて私をお救いにならないのですか。私のうめきのことばにも」
旧約聖書原文通りなら「el el mah azab(エル エル マー アザブ)」となり、聖書に書かれている「エリ エリ ラマ サバクタニ」とはちょっと違うニュアンスになります。「mah」はレマとも発音し、「azab」もアラム語のなまりで「アザブサニ」と発音するパターンがあるそうです。マルコでは「エリ」は「エロイ」とされていますが、マタイでイエス様の十字架を見物していた人たちが「ほら、エリヤを呼んでいる(マタ27:47)」とあるので、実際にはイエス様は「エリ」と言われたのだと思います。なぜなら「エロイ」なら神以外の意味はありませんが、「エリ」なら神ともエリヤとも取れるからです。この言葉がイエス様の十字架上の4番目の言葉とされています。そして5番目の言葉は「わたしは渇く(ヨハ19:28)」、6番目「完了した(ヨハ19:30)」、7番目「父よ、わが霊を御手にゆだねます(ルカ23:46)」と続きます。イエス様が詩篇22編を最後まで語られた、とする学者たちもいるようですが定かではありません。イエス様の死因は死に渡される瞬間、ほんのわずかな時間父なる神がイエス様から目を離すために、その苦しみの故のショック死だとされています。そう考えるなら「なぜ、私をお見捨てになった」という言葉も納得いきます。ほんの1秒でも神から目を離されるなら死んでしまうほど、イエス様は父なる神を愛し続けたのです。