栄光の王が入って来られる

詩24:7「門よ。おまえたちのかしらを上げよ。永遠の戸よ。上がれ。栄光の王が入って来られる」
多くの聖書学者はこの歌は契約の箱をダビデエルサレムに運んだ時の歌だと考えています。一度はペリシテ人に奪われた契約の箱ですが、主がペリシテ人に災いをもたらしたので、彼らは契約の箱を手放し放置されていました。ダビデが王になったとき契約の箱を自分の街に招き入れ、主を礼拝しようとしました。ところがウザがひっくり返りそうになった主の箱に触れたため、彼は死に契約の箱はオベデ・エドムの土地にしばらくとどまっていました(2サム6:6)。ところが意に反してガテ人オベテ・エドムは祝福されたのです。それを見たダビデの心は再び奮い立ち、今度は主が命じら れた正しい運び方で、主の箱を自分の町に迎え入れました(2サム6章)。この歌はそのときのものだとされています。全体的に主の栄光が語られ、ダビデがいかに主の箱を運び入れることが大切なことだと考えていたかがうかがえます。この「門よ…」という言葉は、10節にも繰り返されています。主の臨在と契約の箱は一体で、軽々しく主の箱を迎え入れない決意にも見えます。ダビデがいかに主を愛し、主を賛美し、礼拝することを大切に考えていたかが、この歌から学ぶことが出来ると思います。