ダビデが歌う「彼」

詩21:3「あなたは彼を迎えてすばらしい祝福を与え、彼のかしらに純金の冠を置かれます」
史実としてダビデは黄金の冠をかぶったことがあります。それは、アモン人との戦いに勝ち、戦利品として得たアモン人の冠で金1タラントの重さがあったと書かれています(1歴20:2)。そうするとこの歌は、アモン人に勝利したときに歌ったものと考えることもできます。しかし、「ダビデの賛歌」だと書かれているにもかかわらず、書かれている表現は3人称で書かれ、自分が王であるはずなのに「わたし」という言い方がされていません。さらに、「あなたは彼に、とこしえまでの長い日々を与えられました(4)」とあり、ダビデがあたかも永遠に生きるようにされたような表現があります。「とこしえまで」はヘブル語で「olam(オラーム)」で、文字通り永遠を示す言葉です。有名な「主はとこしえまでも統べ治められる(出15:18)」にも使われています。イエス様の十字架上での最後の言葉「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てに…(マタ27:46)」は、ダビデ聖霊に満たされ、まるでイエス様の霊がダビデのくちびるを支配したかのように賛美が歌われました(22編)。この21編も「彼」はイエス様を指しているようにも思えます。王のことを歌ううちに、聖霊が働きダビデを通して、本当の「王」イエス様のことに変わっていったのではないでしょうか?