ひとつの願い

詩27:4「私は一つのことを主に願った。私はそれを求めている。私のいのちの日の限り、主の家に住むことを。主の麗しさを仰ぎ見、その宮で、思いにふける、そのために
主との交わりが祝福され、主との関係が愛し合うものであるなら、ダビデが歌ったようになれると思います。ダビデの息子ソロモンは主から何を望むかと問われたときに「善悪を判断してあなたの民をさばくために聞き分ける心」を願いました(1王3:9)。それは主の御心にかない、主はソロモンに誰よりも優れた知恵をお与えになったのです。聖書には主がダビデに願いをたずねた記録はありませんが、もしダビデがソロモンと同じことを聞かれたとしたら、この歌がその答えではないでしょうか?いのちの日の続く限り、主の家に住み、主の麗しさを仰ぎ見、その宮で思いにふける…そこには何の人間的な欲求はありません。ただ、主とともにいたい、主を賛美し、その麗しさを見ていたい、という願い だけでした。この話がダビデが死に天に召された後のことならば、ダビデは永遠に主の家に住み、主を礼拝することができるのです。そして黙示録には新しい天地では、昼も夜もなく、永遠に主を賛美する様子が描かれています(黙21章)。やがて新天地で主を賛美するときに、となりにダビデが立ち、共に賛美している様子を想像するだけでもわくわくしてくるのは私だけでしょうか?