言葉と態度

詩28:3「どうか、悪者どもや不法を行なう者どもといっしょに、私をかたづけないでください。彼らは隣人と平和を語りながら、その心には悪があるのです
言葉と態度が違っているのは世の常で、人生を過ごしていれば1回や2回では済まされない数の嘘や裏切りに出会うでしょう。また、自分自身が言葉が態度とともなわず、人を傷つけたこともあるはずです。もし、人が口から出るすべての言葉に偽りがなければ、その人は神と呼ばれるでしょう。それぐらい、言葉をコントロールすることは難しいことです。人は「争いたくない」と言いながら戦争を起こすのです。平和を語りながら、心の中は自分の利益で満たされたいと願っています。同じ舌をもって、神をほめたたえ、人を呪うのです(ヤコ3:10)。ダビデが主に28編のように歌ったならば、はたしてダビデが本当にそう思っているかを知りたくなります。主に対する告白は慎重にしなければなりません。主は心の中 を探られ、口先だけかどうかを試されるお方です。「主よ、主よ、と言うものがみな天の御国にはいるのではなく、天におられるわたしの父の御心を行なうものが入るのです(マタ7:21)」とあるように、耳に聞こえの良いことばかり語っても「みこころ」を行なわない人ならば、天の御国に入れるかどうかはわかりません。それは信じて救われる…というパウロの救いの原理からさらに一歩踏み込んだ信仰です。信じたなら、聖書を読みましょう。教会に行きましょう。祈りましょう。これらは主の御心を行なう基本です。御心を行なうなら、次第に言葉と態度が合致していくようになります。それも御心です。