四面楚歌のとき

詩31:11「私は、敵対するすべての者から、非難されました。わけても、私の隣人から。私の親友には恐れられ、外で私に会う者は、私を避けて逃げ去ります」
ダビデには主に信頼しているという確信がありました。それでも、敵のみならず、隣人や親友には恐れられ、自分の周りには味方になり支えてくれる人がいなくなったのは、相当な痛手だったようです。人生において四面楚歌になることはたびたびあると思います。そのときに主にだけに信頼をおける人は貴重な存在と言えます。困ったことに同じような主張をする教派でも意見が対立することがあります。互いに正しいと思い、主に拠り頼む両者のどちらが正義ということはないはずですが、教理や聖書解釈においては譲れないのも理解できます。特に対立する内容が御言葉ならなおさらのことです。どちらも聖書に従い、祈り、主に拠り頼む者同士でも、神の言葉のことになると敵対するようになります。 なにか皮肉のような話ですが、そんなときに自分の意見を引っ込めて主にゆだねるような信仰があって欲しいものです。自分だけは正しく、主に従っているというのは高慢な態度のようにも思えます。敵が勝ったとしても、正しい者には正しいさばきがあります。主は正しいさばきをされるという信仰が、その人を救うのです。その場ですぐさばかず、主にゆだね平和をはかる信仰こそ主に喜ばれる信仰ではないでしょうか?