主を待ち望む

詩38:15「それは、主よ、私があなたを待ち望んでいるからです。わが神、主よ。あなたが答えてくださいますように」
ダビデの人生にもいろいろあったことがわかります。連戦連勝、負け知らずのダビデも近隣諸国が落ち着いてきたらなら、今度は国内で問題勃発です。バテシェバとの恋愛、彼女の夫ウリヤの殺害、3男アブシャロムによるクーデターなど、ダビデの人生はバラエティに富んでいます。ダビデは常に主を待ち望む姿勢を示していました。詩篇の後半、作者の名前が不明の歌の中には「主をほめたたえよ(ハラル・ヤハ)」というフレーズが最低でも23回登場します(詩68以降最後まで)。さらに新改訳でそのまま「ハレルヤ」と訳されるのを合わせるなら約50編におよび、詩篇の3分の1に相当する詩歌に主をほめたたえよ、と書かれているのです。それに対してダビデの賛歌はちょっとニュアンスが違って おり、ここにあるように「主を待ち望む」ことが彼の人生の命題だったようです。イエス様も祈りを欠かすことはなく、十字架上では父なる神がわずかでも自分から目をそらされることにショック死したと言われています。主とともに歩むには祈りは欠かせないものです。それは、自室に閉じこもってただ祈るだけではなく。道を歩くときも、仕事をするときも、食事をするときにも主に語りかける姿勢が必要なのではないでしょうか。