髪の毛の数より

詩40:12「数えきれないほどのわざわいが私を取り囲み、私の咎が私に追いついたので、私は見ることさえできません。それは私の髪の毛よりも多く、私の心も私を見捨てました」
日本人、あるいはアジア人の黒髪系の人の髪の毛の平均数は約10万本だそうです。もちろん個人差があり、金髪や赤毛などの種類によっても本数は異なってきます。ダビデが遭遇したわざわいは「髪の毛よりも多い」と書かれています。まさかダビデが髪の毛の数を数えていたわけでもないでしょうが、あくまでも比喩としてダビデはこのような表現を使いました。人生でわざわいが10万回あったとしたらどうでしょう?ダビデはそういう風に感じていたのです。何もかもうまくいかない、すべてわざわいのように自分に襲ってくる…それは被害妄想なのでしょうか?確かに、祝福や恵みばかりでは、祈りはだんだんなおざりになり、形式化していくように思います。ダビデの多くの賛歌を見る限り、彼の人生の中に は楽しみよりも苦しみが多いのではないかと想像してしまいます。しかし、ダビデは苦しみが多ければ多いほど、主を求め、主との交わりを深めていったのです。新約ではパウロも同じような証言をしています。牢に入れられ、むち打たれ、飢え渇き食料もなく、寒さの中で裸でいたこともあった(2コリ11:23-27抜粋)…と聖書にあります。なんでもかんでも悪いことは悪霊のしわざと決め付ける人もいますが、すべては主の許しの中で起きていることです。その中でいかに主を求めるかが神が望んでおられることではないでしょうか。