彼らは不信仰で

ロマ1:24「それゆえ、神は、彼らをその心の欲望のままに汚れに引き渡され、そのために彼らは、互いにそのからだをはずかしめるようになりました」
10節に渡って「彼ら」についてパウロが語っていますが、「彼ら」とは誰でしょう?それは18節にある「不義をもって真理をはばんでいる人々(18)」のことです。パウロによるならば、この人たちは神を知らない者たちではなく、むしろ「彼らは神を知っていながら(21)」とあるようにすでに神の存在を認めている人たちのことです。つまり彼らは事実を知りながら、それを否定し続けている確信犯なのです。ここではパウロはローマ人(あるいはローマに住む人々)に対して、神の義を説明しようとしていました(17)。そして結論として「信仰に始まり信仰に進ませる(17)」ことが、神の義のもたらすものだと書かれています。信仰を失うなら「神の真理を偽りと取り代え、造り主の代わりに造られた物を拝み、これに仕えた(25)」…と書かれ、もはや神と敵対する関係になってしまうのです。そんな「彼ら」は、神によって欲望のままに汚れに引き渡されてしまいます。もし神を信じても、神をあがめず感謝もしないなら(21)、主ご自身は悲しまれると思います。それでも神は強引に人の心を変えようとはせず、あるがままにさせ、それがいかにむなしいかを知らせようとします。それは神がある天使が堕落したときに取られた方法と同じです。サタンは人に「死」は恐いものだという考えを植え付け、どうせ死ぬなら…と多くの人を惑わし、主の信仰から引き離しているのです。